こんにちは、norikoです。
ビートたけしさん(72)と元妻・幹子さんの離婚が5月に成立していたことがわかりました。
周囲には常に「冷戦状態」などとうそぶいていた幹子さんとの40年にわたる別居生活にはどんなことがあったのでしょうか?
ビートたけしさんと元妻・幹子さんとの40年にわたる別居生活の間のエピソードを調べてみました。
幹子さんとの出会い
ビートたけしさんと、幹子さんが出会ったのは、1978年の番組共演でした。
幹子さんはその頃、漫才コンビ「ミキ&ミチ」として活動していました。
幹子さんは周囲から、「明るくて、ぐいぐいと引っ張っていくタイプ。人を立てることも、引くことも知ってる気遣いの人」と評価されており、母親を理想の女性とするビートたけしさんの好みにピッタリと当てはまる人でした。
2人は1980年に事実婚状態となり、幹子さんがスナックでアルバイトをして家計を支えていました。
1981年にはフジテレビ「オレたちひょうきん族」で“夫婦漫才”を披露したこともありました。
幹子さんのことはあまり知らなかったのですが、意外とバランスが取れた性格の人なんですね。
ビートたけしさんの下積み時代には、アルバイトして家計を支えていたなんて感心します。
芸人さんの妻ではよくあるパターンですね。
自宅に寄り付かない
しかし、ビートたけしさんは売れていくにしたがって自宅に寄り付かなくなっていきました。
1983年に婚姻届を提出した頃には事実上の別居状態になっていたそうです。
ビートたけしさんは1983年と1985年の2度に渡り離婚を切り出しましたが、幹子さんは承諾しませんでした。
婚姻届を提出したときには既に別居状態だったというのもすごいです。
そんな状況でよく婚姻届を出しましたね。
うまくいっていたのは出会って3~4年くらいのようです。
下積み時代に支えてもらった恩は忘れられるものではありませんが、それだけでは夫婦としてやっていけないような気がします。
フライデー襲撃事件と幹子さんの不倫
1986年にビートたけしさんが起こしたフライデー襲撃事件は大きな転機となったようです。
1987年に幹子さんは2の子供とともに大阪に転居することになりました。
離婚協議が行われる予定でしたが、幹子さんと、ある落語家(すでに廃業)との不倫が発覚したため、ビートたけしさんが大阪まで行き説得して連れ戻したこともありました。
関係者の話では、たけしさんは数年前まで酔うと幹子さんの不倫ことでグチをこぼすことがあったそうなので、幹子さんの不倫は心の傷になり、ずっと引きずっていたのではないかと思われます。
自分は不倫しても、妻の不倫は許せないということでしょうか?
それは自分勝手な理屈なんですが、男性ってけっこうそういう人多いみたいですね。
バイク事故
1994年にはビートたけしさんがバイク事故を起こしました。
幹子さんが入院先の集中治療室の隣の部屋に泊まりみ、献身的に看病したこともありましたが、本格的な復縁には至りませんでした。
どんな気持ちで看病したのか詳しくはわかりませんが、片方が「復縁してもいいかな」と思っていても、もう片方にはその気がなかったりと、かみ合わないものですよね。
まとめ
ビートたけしさんと元妻・幹子さんとの40年にわたる別居生活の間のエピソードをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
婚姻届を提出したときは既に別居状態だったということですから、ビートたけしさんがいろいろと問題を起こされたときも、一緒に生活していたわけではなかったんですね。
この先何年経っても復縁することはなさそうなので、この辺でお互い自由になって良かったのかもしれません。
ビートたけしさんが離婚時に、幹子さんの出した条件を受け入れて財産を渡したのは、下積み時代に支えてくれた恩を忘れていなかったからではないかと思いました。