志村けんの芸能界入りはいかりや長介の顔面の迫力に押されたおかげ

志村けん涙 タレント
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こんにちは、norikoです!

タレントの志村けんさん(69)が、5日放送のTBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへSP」に出演し、2004年に72歳で亡くなった「ザ・ドリフターズ」のリーダー、いかりや長介さんについて、涙ながらに「師匠として間違いなかった」と語りました。

いかりや長介さんいついて語った時の志村けんさんの様子から、いかりや長介さんのことが師匠として大好きだったことがうかがえます。

国民的コメディアンの志村けんさんの下積み時代はどんなふうだったのでしょうか?

弟子入り時代から見ていきましょう。

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「お前、雇ってやる」

志村けんさんは高校3年生のとき、いかりやさんの自宅にアポなしで押しかけ、「(ドリフの)付き人をさせてください」と直談判しました。

そのとき実際に見たいかりやさんのことを志村けんさんは、「あまりの顔面の迫力に押された」とギャグにしていました。

直談判した1週間後、いかりやさんから呼び出され「お前、雇ってやる」と言われて芸人人生がスタートしたのです。

”自宅にアポなしで”というところから一生懸命さが伝わってきます。

でも、よく自宅がわかりましたね!

「8時だョ!全員集合」に24歳で初出演

最高視聴率が50%超で”お化け番組”と言われた「8時だョ!全員集合」に24歳で初出演しましたが、初めは「見習い」メンバーで、テロップにも「見習い 志村けん」と表示されていました。

舞台に出ても、「なんだこいつは?」という空気だったそうです。

ところが、打ち合わせのときに口ずさんでいた「東村山音頭」を舞台でやってみるとチビっ子たちに大うけしました。その後「ヒゲダンス」や「カラスの勝手でしょ」などのギャグでブレークし人気者になり、いつの間にかドリフを背負って立つようにまでなっていました。

なんでも初心者の頃に、”お呼びでない”雰囲気がわかってしまうときがありますよね。

そんなときはすごく辛いのですが、ひたすら耐えるしかありません。

初めて聞いた”いかりやさんの弱音”

裏番組の人気に押され「全員集合」もまもなく終わりを迎えつつありました。

そんなとき志村けんさんは、いかりやさんから「ちょっと飲もうか」とバーに誘われたそうです。

「どうしたんですか、最近、(いかりやさん)らしくないですよ?」と気遣う志村けんさんに向かっていかりやさんは、「オレはもうしんどいよ。お前がドリフをまとめてくんないかな。お前もこの年になるとわかるよ」と言われました。

強いリーダーだったいかりやさんが初めてこぼした弱音でした。

1985年に「全員集合」が16年の長い歴史に幕を下ろした後、いかりやさんは俳優業に転身志村けんさんとはめったに会うことがなくなったそうです。


いかりやさんとの最後の共演

最後に共演したのはいかりやさんが亡くなる数カ月前のことで、「40年だよ!ドリフ大爆笑」の収録でした。

オープ二ングでは5人揃って歩くシーンがありましたが、自宅に戻ってきたいかりやさんは「(足並みを)そろえないんだよな。志村だけがピタッと合わせてきた」と振り返ったといいます。

いかりやさんは、そういう細かいところを見る人だったそうです。

他人や周囲の細かい動きまでよく見ている人だったのでしょうね。第一、そのような人でなければグループをまとめていくことはできないでしょう。

いかりやさんが舞台をこっそり見に来た

また、同じころにいかりやさんが志村けんさんの舞台を自腹でチケットを購入し、こっそり見に来ていたらしいです。

終演後に、気づいたスタッフが楽屋に誘いましたが断って帰ったと言います。

志村けんさんは、「一言、感想を言ってほしかった。面白かったぞとか、頑張れでもいいから…」とそのときの気持ちを語りました。

いかりやさんは尊敬する大好きな永遠の師匠

番組の最後に「志村さんにとっていかりや長介さんはどんな人?」とMCの中居正広(46)に聞かれると、無言のまま涙が頬を伝わりました。

「お笑いって難しいけど、それに向かって一生懸命だった。(一緒に歩めて)良かったと思います。師匠として間違いなかったですね」

志村けんより

無言のまま涙を流す志村けんさんの様子から、志村けんさんにとっていかりやさんは、”尊敬する大好きな永遠に師匠”なんだなと思い感動しました。

まとめ

タレントの志村けんさん(69)が、5日放送のTBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへSP」に出演し、2004年に72歳で亡くなった「ザ・ドリフターズ」のリーダー、いかりや長介さんについて、涙ながらに「師匠として間違いなかった」と語りました。

志村けんさんは高校3年生のとき、いかりやさんの自宅にアポなしで押しかけ、「(ドリフの)付き人をさせてください」と直談判したことがきっかけで芸人人生がスタートしました。

24歳で初出演した「8時だョ!全員集合」も、初めは見習いメンバーでしたが、「東村山音頭」・「ヒゲダンス」・「カラスの勝手でしょ」などのギャグでブレークして人気者になり、いつの間にかドリフを背負って立つようになりました。

「全員集合」が終わってからは、いかりやさんにはめったに合うことがなくなったそうですが、いかりやさんは立派に成長した志村けんさんのことは何の心配も要らなかったでしょうね。

志村けんさんに弱音を吐いたのは、信頼していた証拠でしょう。

師弟愛に感動しました。