こんにちは、norikoです。
最近は指原莉乃さんのような、アイドルに属しながら自分で曲や歌詞を書いて歌うなどのプロデュースを手がける「セルフプロデュース型」のアイドル傾向が目立ちます。
このセルフプロデュース型のアイドルの先駆けは、平成の初めに「私がオバさんになっても」「渡良瀬橋」「気分爽快」など自ら作詞を手がけた曲を次々とヒットさせた森高千里さんです。
森高さんは現在、1月からスタートした全国ツアーの真っ最中ですが、4月11日で50歳を迎えました。
えー!?とても50歳には見えないですね。
「ミニスカートの衣装」が記憶に残る森高さんの、今までの活躍の流れとミニスカートをはき始めた理由を調べてみました。
森高千里さんのプロフィール
- 名前 森高千里(もりたか ちさと)
- 本名 江口千里(えぐち ちさと)
- 生年月日 1969年4月11日(現在50歳)
- 出身地 熊本県
- 血液型 O型
- 所属事務所 アップフロントクリエイト
- 活動 歌手・シンガーソングライター・マルチプレイヤー
- 配偶者 江口洋介
私は熊本に住んでいるので、森高さんが九州女学院高等学校に通っていた話や、森高さんのご両親がアパートを経営されていたという話を聞いたことがあります。
森本高さんは、九州女学院高等学校在学中にバンド活動をしていました。でもそのときはボーカルではなく、ドラムやベースギターを担当していたそうです。
芸能界入りのきっかけとなったのは、1986年夏に行われた大塚製薬主催の「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でした。
このコンテストで見事グランプリを受賞します。
そして同年冬に芸能活動本格化のため上京し、堀越高等学校に編入しました。
1987年春、東宝映画「あいつに恋して」にヒロイン役で出演し、同年5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビューします。
当初は女優・タレント活動と両立して歌手活動を行っていましたが、同年9月7日の渋谷LIVE INNでの初ライブをきっかけに徐々に歌手活動がメインになっていきました。
森高さんのドラマーとしての実力を、吉田拓郎さんが、
「その辺のドラマーより全然うまい!」
とベタ褒めで、吉田さんとLOVE LOVE ALL STARSのアルバム「みんな大好き」のドラマーとして起用したのだそうです。
森高さん、マルチプレイヤーと言われるだけあって、カッコいいですね!
歌手活動に専念
森高さんは、女優・タレント活動と両立して歌手活動を行っていましたが、1988年の夏、ツアーのリハーサル中に腹痛で1週間入院することになり、それを機に女優・タレント業との並行活動を断念し、歌手活動に専念することになりました。
この入院体験をもとに作詞したのが「ザ・ストレス」で、歌詞のユニークさがかなり注目されましたね。
それ以来、ほぼ全ての作詞を自ら手掛けるようになり、森高さんの代名詞「コスプレ」も誕生しました。
1989年にリリースされた南沙織さんの曲のリメイク「17才」は、大ヒットして話題になりました。
森高さんだからこそ、大ヒットしたんでしょうね。その頃から森高さん、すごくおキレイで、私も大好きでした。
歳も同じくらいですし出身が熊本県ということで、親近感もありましたね。
1992年のアルバム「ROCK ALIVE」からシングルカットされた「私がオバさんになっても」も大ヒットしましたが、森高さんは50歳になっても全然オバさんじゃないですね!一体いくつになったらオバさんになるのでしょうか?(羨ましい)
「短すぎる!」ミニスカートをはき始めた理由
歌手活動に専念することになり、コンサートや学園祭・ライブへの出演が増えていきました。
初ライブのときに、観客が盛り上がってくれることに楽しさを見つけ、「私がやりたいのはライブなんだと、はっきりわかった」と言います。
スタッフから「短すぎる!」と止められたミニスカートをはじめ、コンサートやテレビで見せる派手な衣装も話題を呼びましたが、本人によれば「女の子がソロでやっていくには、とにかく目立たなきゃいけない。だったら衣装をハデにしようと。それだけの単純な理由だった」そうです。
森高さんの超ミニスカート、初めはスタッフから止められていたんですね!
確かに普通のミニスカートと比べるとかなり短いです。
それでも、自分の考えを貫いたところは流石プロですね。
森高さんが超ミニスカートをはき始めた理由は、「女の子がソロでやっていくには、とにかく目立たなければいけない」ということだそうです。
江口洋介さんと結婚
1999年6月3日に森高さんは交際していた俳優の江口洋介さんと結婚しました。森高さんは30歳、江口さんは31歳のときでした。
結婚会見のときには森高さんが「妊娠2週間」という発表もありました。
2週間?すごく早い妊娠判明です。そんなに早くわかるものなんですね。
当時森高さんが急性腸炎による激痛で倒れ、救急搬送された病院でたまたま発覚したようです。
2人の馴れ初めは、結婚から4年前の1995年、森高さんのラジオ番組「千里の道も一歩から」に江口さんがゲスト出演したことです。
森高さんは江口さんから、「会った時から”こいつ””この子”というのはあった。しゃべっていても安らげる」と言われていたそうです。
出会った瞬間に好意を持ったということですね!インスピレーションというやつでしょうか?
その後、神戸で開かれた阪神大震災のチャリティコンサートで再び共演したことがきっかけで、2人の交際は始まりました。
翌年1996年に、森高さんのマンションに入る江口さんがスクープされ熱愛が発覚します。
そのときに会見を開いた江口さんは、「好きです」と堂々たる交際宣言をしたのです。
森高さんみたいな女性が彼女なら、そりゃーもう他に代わる人なんていないはずですから気持ちはわかります。絶対離したくない!という感じでしょうか?
江口さんカッコいいですね!
気になる子供さんについてですが、2000年2月に長女・彩花(あやか)ちゃん、2002年5月に長男・大翔(だいと)くんが生まれ、森高さんは育児に専念するため当分の間、芸能活動をセーブ。
そして2人の子供達が中学生になった2015年4月、音楽番組の司会として芸能界復帰を果たします。
まとめ
森高さんは高校時代からバンド活動をしていていろいろな楽器の演奏ができる人でした。
特にドラムは凄腕らしいです。
デビュー当初は女優・タレント活動と両立して歌手活動を行っていましたが、体調不良を境に歌手活動に専念することになりました。
初め、スタッフから止められた”短すぎるミニスカート”をはき始めた理由は、「女の子がソロでやっていくには、とにかく目立たなければいけない」ということだそうです。
「17才」を歌っている頃の森高さんは、とても美しく、ミニスカートから見える足は超美脚だったと有名です。
だいぶん前の話ですが、私の知人がコンサート会場設営のアルバイトをしていました。
それで、コンサートの時に森高さんを近くで見たらしく、「美人で美脚だった!」と絶賛していました。